以前書いた弟についての記事、たくさんのいいね!!を頂きありがとうございました。
その後も、読者様から「弟さんの記事、待ってます」など数件メッセージを頂いたので、今日から少しずつ成長記録のようなものを書かせていただきたいと思います。
過去記事はこちらです→『遠足♡弟のこと』
母が昔書いた弟の成長記録や、自分の記憶を思い返しながら、ほんと少しずつですが...
弟の成長過程や、母やわたしの経験が、少しでも読んで下さっている方々の為になればいいなと思います^^
=====================================
平成6年3月...母35歳、妊娠38週
陣痛から出産まで4時間13分、安産でした。
名前はシュン♡
出生時体重 2975g
出生時身長 49cm
標準です。
出生後の検査も特に異常なし。
産まれたとき、産声をあげるまで少し時間がかかったと母の記録には書かれていました。
目がくりっとしていて本当に可愛い赤ちゃんでした♡
わたしはその時10歳、妹は8歳。
わたしはもう小学4年生だったので、病院に初めて見に行った時の事、初めて弟を抱っこした時のことなど鮮明に覚えています
♡母が書いた成長記録より♡
上2人の子より敏感で夜起きる回数も多く、抱っこしてもらう事を好まない子だった。
抱っこして母乳を飲ませようとするとぐずり、絞って哺乳瓶でベッドの頭の方を高くして斜めに寝かせて飲ませるようにしていた。
産まれた頃はほとんど標準の成長だったけど、喉の奥がゴロゴロいっているのが少し気になっていた。
視力検査をする時の丸がたくさん書いた表や、字の書いた掛け軸がすごく好きだった。
体温を測ると1日のうちに39度から36度をいったりきたりする事が多く、病院へ行ったが、医者からは「お母さんが神経質に体温を測りすぎるからだ」と言われ疑問が残った。
カーテンを開けた時など光をすごく嫌がり泣くので、目でも悪いのかとも疑った。
音にも敏感だった。
4ヶ月のころ、風邪を引き熱発。
すぐに肺炎で入院になり、その日の夜に「今夜が峠」だと言われた。
病院に泊まり込み、ひとときも離れずに看病。
最初の日は、場所の変化で一晩中泣きやまず、看護婦さんに「親なのになんで泣かすんですか?」としかられ病院待合1階のトイレで一晩中過ごした。
「どうかこの子を助けて下さい」と祈る毎日。
少しずつ回復し10日後に退院。
その後もよく病気をして入退院を繰り返す体の弱い子だった。
音や光に敏感な事、体温調節がうまくいかない事は少し気になっていたけど、目を見てよく笑うし、よく食べるし、成長面では特に心配になる事はなかった。
♡わたしの記憶♡
産まれた時から抱っこが嫌いで泣く子だったので、あまり抱っこはさせてもらえませんでした。
「いつも寝てるね」と言いながら、妹といっしょに弟の寝顔を眺めていたのを覚えています。
置きている時は、わたしと妹のおもちゃ状態。
可愛くて仕方ありませんでした♡
4ヶ月くらいからよく病気をしていたので、弟は入院している事が多く、母も病院に泊まり込みで家にいない事が多かったです。
でも、その時はわたしも10歳だったのでそれが寂しいと思う事はほとんどありませんでした。
また、弟が音や光に敏感だったので、夜になるとなるべく音を出さないように心がける生活をしていました。
テレビの音量を8くらいで見たりしてw
今、そんな音量で見たら全然何を言っているかわからないけど、そのころは慣れていたんでしょうねw
可愛い弟の為♡今だけの辛抱!!と思って我慢していた夜の無音生活が、その後も続いていくなんて、その時は思ってもみませんでしたけどね...
そして、この時は障害のことなんて誰ひとりとして気付いていませんでした。
つづく...
応援お願い致します
人気ブログランキングに参加しています(^∇^)
バナーをクリックして頂くと、ランキングアップに反映されるので、
クリックしていただけると嬉しいです(^ε^)♪
いいね!!も、いつもありがとうございます。
嬉しいです
↧
●折れ線型自閉症の弟のこと☆誕生〜☆
↧